「事実」と「意見」、その見分け方 ポスト真実時代に情報を整理するヒント
ポスト真実時代、情報を見極める第一歩
日々、SNSやニュースアプリを通じて膨大な情報に触れていらっしゃることでしょう。知りたい情報もあれば、思わず目を引くゴシップ、誰かの個人的な感想まで、その内容は多岐にわたります。情報を受け取る中で、「これは本当のことだろうか?」「これはあくまで個人の考えなのだろうか?」と迷われた経験はありませんか。
特に近年、「ポスト真実」と呼ばれる時代においては、感情や個人的信念が客観的事実よりも世論形成に大きな影響を与える傾向が見られます。このような状況では、「事実」と「意見」が混じり合い、情報の真偽を見極めることが一層難しくなっています。情報過多な状況で不安を感じたり、情報判断に自信を持てなかったりする方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、情報を主体的に判断するための基礎となるのが、「事実」と「意見」を意識的に区別する習慣です。この二つを混同せずに情報と向き合うことで、情報の波に飲み込まれることなく、自分にとって本当に必要な情報、信頼できる情報を選び取ることができるようになります。
この記事では、「事実」と「意見」の違いを改めて確認し、それらを見分けるための具体的なヒントをいくつかご紹介します。身近な事例を交えながら、情報整理の羅針盤となる考え方を探求していきましょう。
「事実」と「意見」は何が違うのか
まずは、「事実」と「意見」の基本的な定義を確認します。
- 事実(Fact): 客観的に存在し、誰が見ても真実であると確認できる事柄です。証明が可能であり、特定の個人の感情や主観に左右されません。例えば、「今日の東京の最高気温は25度でした」という情報は、観測データに基づいており、客観的な事実と言えます。
- 意見(Opinion): 特定の個人や集団が、ある事柄に対して抱く考え、感想、評価、解釈など、主観的な見解です。個人の経験や価値観に基づいており、必ずしも他者と共有されるものではありません。例えば、「今日の東京は快適な気温でしたね」という情報は、その人の体感や好みに基づく意見です。
重要なのは、事実は普遍的な真実ですが、意見は多様であり、人によって異なり得るという点です。ポスト真実時代においては、この意見が事実であるかのように語られたり、感情を伴って強く主張されたりすることで、多くの人に影響を与えることがあります。
なぜ「事実」と「意見」は見分けにくいのか
SNSなどで流れてくる情報の中には、事実と意見が入り混じっていることがよくあります。なぜ、これらを見分けることが難しくなるのでしょうか。いくつかの理由が考えられます。
- 感情的な表現: 意見が強い感情を伴って表現されると、受け手はその感情に引きずられ、「きっと事実なのだろう」と思い込んでしまうことがあります。「絶対にこうだ!」「これは許せない!」といった強い言葉は、意見である可能性を示唆している場合があります。
- 断定的な言い回し: 意見であっても、「〜に違いない」「〜であるべきだ」のように断定的に述べられると、事実のように聞こえてしまいます。
- 意図的な操作: 事実の一部だけを切り取って意見と組み合わせたり、事実を装って虚偽の意見を広めたりするケースもあります。
- 情報の文脈の欠如: SNSの短い投稿などでは、情報が発信された背景や文脈が省略されがちです。文脈が分からないと、それが単なる感想なのか、それとも根拠に基づいたものなのか判断が難しくなります。
- 情報の信頼性の不明確さ: 情報源が明確でなかったり、信頼性が低い場合、そこで語られる事柄が事実なのか、個人の意見なのかを見極めることが困難になります。
事実と意見を見分けるためのヒント
情報を見極める力を養うために、「事実」と「意見」を意識的に区別するための具体的なヒントをいくつかご紹介します。
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主観的な表現や感情的な言葉に注意する 「素晴らしい」「ひどい」「〜べきだ」「〜と感じた」といった、個人の評価や感情を表す言葉が多く含まれている場合は、意見である可能性が高いと考えられます。こうした言葉が出てきたら、「これは発信者の主観だな」と一歩引いて見てみましょう。
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具体的なデータや根拠が示されているか確認する 事実であれば、それを裏付ける具体的なデータ(数値、統計)、観察結果、公的な記録、専門機関の発表などが存在するはずです。「〇〇の調査によると」「公式発表では」「〜というデータがある」といった形で根拠が示されているかを探します。根拠が示されていない、あるいは曖昧な場合は、単なる意見の可能性が高いです。
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情報源の信頼性を考える その情報がどこから来ているのかを確認しましょう。信頼できる公的機関、研究機関、定評のある報道機関などからの情報は、事実に基づいている可能性が高いです。一方で、匿名アカウントや個人のブログ、出所の不明な情報などは、意見や憶測が多く含まれている可能性があります。情報源が事実に基づいているか、偏りがないかといった視点を持つことが重要です。
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「誰かの視点」が含まれていないか問いかける 情報は、常に誰かの視点や解釈を通して伝えられることがあります。「この情報は、誰が、どのような意図で発信しているのだろうか?」と自問してみることで、そこに意見や偏りが含まれていないか考えるきっかけになります。
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身近な事例で試してみる 例えば、ある飲食店の口コミを見たときに、「料理がとても美味しかった!」は意見(個人の感想)です。「パスタの値段は1,200円でした」は事実(確認可能な情報)です。「店員の態度が悪かった」は意見(個人の評価)ですが、「注文から提供まで20分かかった」は事実(時間という客観的な記録)に近い情報です。このように、日常の情報を「事実」と「意見」に分けてみる練習をすることで、見分ける力が自然と養われます。
焦らず、少しずつ習慣化する
情報過多な現代において、全ての情報を完璧に「事実」と「意見」に分類することは難しいかもしれませんし、その必要もありません。大切なのは、情報に触れたときに「これは事実だろうか、それとも意見だろうか?」と一瞬立ち止まって考える習慣を身につけることです。
特に、感情を強く揺さぶられる情報や、誰かが熱心に主張している情報に接した際は、意識的に立ち止まるように心がけてみてください。すぐに結論を出そうとせず、情報を整理する時間を持つことが、情報の海で羅針盤を見失わないための鍵となります。
この習慣は、すぐに完璧になるものではありません。しかし、日々の小さな意識の積み重ねが、情報を見極める確かな力へと繋がっていきます。
終わりに
ポスト真実時代を生きる私たちにとって、情報判断の精度を高めることは、より良い意思決定を行い、穏やかな心持ちで日常を送るためにも重要です。今回ご紹介した「事実」と「意見」を見分ける視点は、そのための基本的なツールの一つです。
全ての情報を疑う必要はありませんが、鵜呑みにせず、一歩立ち止まって考える習慣を持つことが、情報の波に乗りこなすための第一歩となるでしょう。ご自身のペースで、情報との新しい向き合い方を見つけていただければ幸いです。